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西研コラム

〈第20回〉われ飲む。ゆえにわれあり


2017年8月30日

昔から、地方に出張することが多かった。その際の楽しみは何といっても、その土地での美味しい酒と肴ということになりますね。「港、港に女あり」などと嘯く人もいるけれど、私などは「港、港に肴あり」と言いたいところです。

そのためには、いい店を探すことが何よりも優先される。つまり、「酒良し、肴よし」という店を探さなければならない。どうすればいいか?

店の方はなんとか客を引きつけようといろいろな手を打ってくる。たとえば、変わった店名で我々の気を惹こうとする店がある。

 

 

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この写真は名古屋駅近くで見かけた店。いわゆる定食屋だから酒肴を愉しむために入ろうとは思わないし、入り口の前にゴミ袋を平気で出して置くような店は敬遠したいけれど、面白い名前ではありますね。宮本さんという人がやっていて、洒落でこんな店名にしたんだろうと思っていたけれど、違いましたね。Wikipedia に次のような記事があった。

 

 

社名の由来は、社長の子供が幼い頃、宮本武蔵の事をうまく言えず、「宮本むなし」と言っていたことからきているんだそうだ。かつては首都圏や福岡にも進出していたが、2008年頃には全店が撤退し、現在は関西と東海を中心に展開している定食のチェーン店とのこと。そうだとすれば、最近までは首都圏にも存在したということになるが、私は東京などでは見かけたことがなかった。桂 文珍『落語的ニッポンのすすめ』(新潮文庫)にもこれが面白い名前の店ということで紹介されているから、関西では知られた店なんでしょう。

 

 

同書によれば、大阪には焼鳥店の「手羽一郎」、うどん屋の「手抜きうどん」というのがあり、広島には焼肉の店「和牛十兵衛」、というのがあるそうだ。

立川談四楼の『もっと声に出して笑える日本語』(光文社知恵の森文庫)によれば、「手羽一郎」という焼鳥屋は仙台にもある由。食事処ではないが、コインランドリーで、「洗っていいとも」というのがあるとか。

しかし、私は店名が面白いという理由だけでこのような店に入ってみようなどとは思わない。やはり、美味しいものを出してくれそうだなと感じた店をトライする。肴と酒が旨くて、その上、サービスがよければ言うこと無しでしょう。植松黎 編『ポケットジョーク⑨』(角川文庫)には、

ニューヨークのレストランがある掲示をしてから、大いにはやった。「迅速丁寧なセルフ・サービス」

というジョークが載っていたが、これでは困りますよね。スカイマークのサービスじゃあるまいし。

私の場合は、いくつかの店で試行錯誤を繰り返しているうちに、気に入ったところができて、そこがいわゆる「行きつけの店」になる。そうなると、その店に行くために隣接するホテルが定宿になり、仕事のためにその土地に出張するのか、「行きつけ」に行くための出張なのか分からなくなってくる。

十数年前に、京都に行けば必ず立ち寄る店ができた。大将が自分で日本酒の味を見て旨いと思った酒を揃えているし、料理の材料も自ら市場に出向いて、仕入れるべきものを決めている。その割には安くて、特殊なものを除けば 500~800 円くらいで提供している。若い板前が二人いるが、彼らが作る料理も最後は大将が味を見て、「もう少し味醂を入れろ」というように指示を出している。日本海側から新鮮な魚が入ってくるし、琵琶湖で獲れるワカサギ、稚鮎なども言うことなし。

 

 

京都のいわゆる「おばんざい」も美味しい。「おばんざい」というのを私は長い間、「お晩菜」という意味だろうと思っていた。つまり、晩御飯のときに供されるような「菜」、つまり「おかず」だと。ところが、漢字で書けば「お番菜」なんだそうだ。「へえ」と思って広辞苑を紐解くと、「番」は常用の粗末なものに冠する語だと書いてある。番茶、番傘などがその例だという。つまり、「おばんざい」というのは京都の普段の家庭料理という意味なんですね。

こんな店だからいつも満席で、前日に予約を入れてもダメなケースもしばしばある。それでも、この店ですら最初の頃には失敗したこともあったという。大将からは、次のような話を聞いたことがある。

 

 

開店当初、雑誌「はなこ」から取材を申し込まれ、宣伝になるならと思って請けたことがあった。その結果、若い女性がたくさん来てくれるようになったのはいいのだが、満席状態が続いて、馴染みのお客さんを断らざるを得なくなってしまった。それでも、彼女たちが食べたり呑んだりしてくれればまだいい。しかし、若い女性はオシャベリばかりして、売り上げにほとんど貢献してくれなかったのだそうだ。

塩田丸男『食べる日本語』(講談社+α新書)によると、「一宿一飯」を「イッシュク・イチメシ」と読んだ若い女性がいたそうだ。同じことを何度も言うので、「それはイチメシじゃないよ。イッパンと言うんだ」 と教えたそうだ。その女性はしばらく考えこんでいたが、「あっ、そうか。今はご飯じゃなくてパンの時代ですものね」と言ったとか。

あるいは、「冷奴」を頼むのに、「冷たいヤツを下さい」と言ったりするのもいるそうだ(五木寛之『こころのサプリ』幻冬社文庫)。冷奴にも振り仮名がいる時代になってしまった。

こういう訳の分からぬ女性客相手じゃやっていられませんよね。モクタリ・ダヴィッド『イラン・ジョーク集』(青土社)によれば、このようなオシャベリばかりしている女性客に対する効果的な一言がある。それは、「これからは、一番年長の方から、順番に話をしていただきます!」というもので、そうすると、その後は最後まで静かになるそうだ。

話を戻して、こんな風潮に対して、ここの大将はどんな手を打ったか? 店の外装を豪華にしたのだという。800 万円をかけて、店頭に立つと居酒屋ではなくて小料理屋としか見えないようにしたのです。高そうな店と思わせたわけです。

そうしたら効果満点で、学生とか若い連中がほとんど来なくなったそうだ。なるほど、行ってみると、相客は年輩の人たちばかりで、それほど馬鹿騒ぎすることもなく、皆さん行儀良く呑んでいる。

この種の店を、京都のほかにも、名古屋、郡山、仙台、長野、そしてもちろん東京などに作って、行く先々で私は愉しんでいる。

こういう話をいつもしているものだから、「どうして、酒を呑んでばかりいるんですか?」とよく訊かれるが、それに対しては、「液体だから呑んでいるのであって、固体だったら、齧るよ」としか答えようがない。

 

 

酒の効用は意外なところにもあるのですよ。1985 年にロシアの当時のゴルバチョフ書記長は節酒令というのを出した。ところが、節酒令施行後に離婚がものすごく増えたという。なにしろウン十年ぶりにシラフで女房の顔を見てショックを受けた手合いが多かったからだそうだ(米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』講談社文庫)。つまり、われわれは飲酒によって、離婚率の増加を抑えているのです。


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