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西研コラム

〈第27回〉クラシックは倉敷で


2017年8月30日

「音楽」
駄洒落みたいなタイトルで済みませんが、以下の文章を読んで頂ければ、その訳が“詳しっく”書いてあります。

 

 

私は福島県郡山市に 10 年間ほど単身赴任をしたことがあり、土日になると退屈で、福島県内を観光がてらにしばしば探索したものだ。
蔵の町と言われる喜多方市に行ったときのこと、日本酒の美味しい会津地方にせっかく来たんだから、土産に会津の酒でも買おうかと酒屋に飛び込んだ。そこで見つけたのが小原酒造で醸造したという純米大吟醸酒。小原酒造なんて、小原庄助に因んで付けたんでしょうかねえ。
ちなみに、小原庄助という人は実在の人物で、阿刀田高『左巻きの時計』(新潮文庫)によると、江戸末期の会津の塗物師だったそうで、本名を久五郎、戒名を米汁呑了居士。盃と徳利をかたどった墓が白河市内の皇徳寺にあって、墓碑銘として、「朝によし昼はなおよし夜もよし飯前飯後その間もよし」とある。戒名も墓碑銘もいいですね。下の写真はその寺を訪問した際、銀塩フィルムで撮ったやつをデジカメで複写したもの。画面にある 2003.10.12 というのは複写した日付で、実際に墓に詣でたのは 1993.6.6(この日は間違いなく日曜日で、決して会社をサボってはおりません)のこと。

 

 

閑話休題、話を元に戻さなきゃ。さて、喜多方で買った酒の名は“蔵粋”だった。“蔵粋”って何と読みますか? クラシックと云うんだそうです。確かに、フランス語で“粋な”ことを chic(シークないしはシック) と言うけれど、これをクラシックと読ませるのはちょっとこじつけじゃないのとしか言いようがない。
なぜこんな名前を付けたのか? それは発酵過程でモーツァルトの音楽を聴かせながら醸造したからとのこと。

 

出久根達郎『花ゆらゆら』(ちくま文庫)には、あるウドン製造工場では熟成を促すために音楽を流していて、それにはクラシックが最適だそうで、それもモーツァルトが一番だと書いてあった。つまり、発酵過程などで酵母のような微生物でもクラシック音楽を聴かせると好成績を産むということのようだ。
上記の小原酒造でも、ノイズ、クラシック音楽など様々な音を聴かせて酵母の死滅と増殖の速さについてのデータを取ったそうだ。そうしたら、クラシックを掛けたグループ(バッハ、ベートーベン、モーツアルト)の酵母が増殖において最も良い数字が出たという。さらに、クラシックのグループの中でもモーツアルトを聞かせた醪の酵母の増殖速度が最も早く、香りの豊麗な酒が出来るという実験結果が出た。しかし、そんな蔵元のやり方に周囲は猛反発。杜氏からは「クラシック音楽なんかが流れていたら気になって仕事の邪魔になる。演歌だったらいいけど」と言われたそうだが、そういう杜氏を説得し、平成元年にモーツアルトを聴かせて発酵させた酒、“蔵枠”ブランドが誕生した。
同じような日本酒に、その名も“Mozart K001”というのがあり、これも「発酵過程で酵母にモーツァルトを聞かせた」ものだそうで、神奈川県秦野市にある酒造メーカーで作っている。

 

柴口育子『動物園のゴリラに明日はあるか』(文春文庫、『アニマル・クライシス、絶滅!』に収録)によると、高松の栗林公園動物園では、神経質なゴリラをリラックスさせれば繁殖につながるのではと、クラシックから演歌まで色々なジャンルの音楽を聞かせてみたという。その結果、彼らの気に入ったベスト 3 は、1 位がモーツアルトの「交響曲第四十番」、2 位が谷村新司の「昴」、3 位が KAN の「愛は勝つ」だったとか。
微生物やゴリラだけではない。アメリカの大学で、学生にモーツァルトを聞かせながら勉強させたら一番頭に入って成績が向上したという話もある。モーツァルトというのは不思議な作曲家だ。

 

 

前回書いたように本は私の生活の一部と言ってもいいような存在になったけれど、もう一つ音楽も日常の生活に深く入り込んでいる。とくにモーツァルトが好きで、酵母やゴリラに対するほどいい効果はまだ私に対しては出ていないのは残念だが、子供の頃からモーツァルトはよく聴いていた。
音楽も読書同様、母親の影響が大きかった。小学校の低学年の頃にすでにクラシック音楽の虜になっていた。とは言っても当時(昭和 20 年代前半)、テレビはもちろんまだ無く、ラジオは NHK 第一と第二だけ。オーディオと言っても、いわゆる SP レコードしかなかった。では、どうやって音楽に親しんだのか。

 

我が家には母が嫁入り道具として持って来たという大きな(50 センチ立法くらい)蓄音機(我々は“チコンキ”と呼んでいた)があり、SP 盤も 50 枚くらいあった。我が家は 4 人兄弟だったが、これに興味を示し、しょっちゅうレコードをかけては聴いていたのは私だけだった。
SP 盤なので長い曲は少なく、片面が 5~6 分のものが大部分だった。その中で私がいつも聴いていたのがモーツァルトの“ピアノソナタ第 11 番イ長調 K331” の第 3 楽章だった。こう書くと、子供のくせになんだか難解な曲を聴いていたように受け取られそうだが、“トルコ行進曲”として知られている曲だと言えば、「アッ、それなら知ってる」ということになるだろう。この曲をいつも聴いていたおかげで私はモーツァルトにのめり込むことになってしまった。
社会人になり、ある程度自分の好きなようにお金が使えるようになったので、モーツァルトの LP レコードを買い漁り、ついには、レコード化されたモーツァルトの曲はほぼ全部買い集めたと言っていいほどになった。
しかし、ここで悲劇(?)が訪れた。LP がだんだん廃れ、世の中は CD の時代に移行していったのだ。次第に CD を買うしか選択肢がなくなってはきたが、それでも、レコード・プレーヤーがあるのだから、手持ちの LP をかけてモーツァルトを楽しむことは出来た。ところが、プレーヤーのカートリッジ(アメリカの Shure を使っていた)の針が次第に入手困難になり、ついには時代に合わせて CD に切り替えて行くしか途はなくなってしまった。仕方がないので、CD でのモーツァルト収集に方向転換し、今では CD で入手できるモーツァルトの曲は LP に負けないくらいに揃えている。LP に比べれば、置き場所が数分の一になるのはありがたい。と言いながら、モーツァルトの LP だけは処分せずに残してある。

 

 

そんな音楽生活を送っているうちに、録音された音ではなく、生の音を聴きたくなるのは自然の成り行きで、コンサートを聴きに行くようになった。来日した海外の著名なミュージシャンの演奏会に馳せ参じたり、日本のオーケストラの定期演奏会の会員になったりした。新日本フィルハーモニー、読売交響楽団、東京フィルハーモニーなどの会員となった。
河盛好蔵編訳『ふらんす小咄大全』(ちくま文庫)こんな小咄がある。

 

 

ブロムは日ごろ、自分は音楽が好きだといっていた。ある日のこと、プレイエル劇場のコンサートに出かけたが、着いたときにはもう演奏がはじまっていた。そこで隣の客に、
「いま何をやってるんですか?」
「第五シンフォニーですよ」
「うわあ、もう五つめか! ちくしょう、そんなにおくれたか!」

私はいろいろ音楽を聴いてきたお蔭で、コンサートに行ってもこのような恥さらしはせずに済んでいる。
海外の著名な演奏家でそのコンサートを聴くことができたのは、声楽のデートリッヒ・フィッシャー = ディスカウ、ハンス・ホッター、ジェラール・スーゼー、ピアノのスヴャトスラフ・リヒテル、ヴィルヘルム・ケンプ、バン・クライバーン、マルタ・アルゲリチ、指揮者のレナード・バーンスタイン、カール・ベーム、エルネスト・アンセルメ、ジョーシ・セル、アンドレ・クリュイタンス、シャルル・ミュンシュ、などがある。
このような古い固有名詞を並べても、クラシック音楽に興味のない人や、若い人にはピンとこないだろうが、オールド・ファンには多少なりとも羨ましく思って頂けるのではないだろうか。

 

 

このように数々の演奏会に通っていると、ちょっとした珍しい経験をすることがあった。その一つに、ドイツ・バッハ・ゾリステンの演奏会があった(1970.1.25)。これはバッハを中心にバロック時代の音楽を手がける楽団で、自らはオーボエの名手でもあるヘルムート・ヴィンシャーマンが指揮をとっていた。
来日演奏会では、ヴィンシャーマン自身が指揮をとりながらオーボエのソロを担当するバッハの“オーボエとバイオリンのための協奏曲ニ短調”がプログラムに入っていたので、これはぜひ聴かなくてはと、前売りチケットを買っておいて、会場に駆けつけた。当時はネット販売などなかったから、前売り券を買うにはプレイガイドに行って買うしかなく、人気のあるコンサートでは長い行列が出来るので、券を入手するだけでも一仕事だった。
さて、待望のバッハの協奏曲だが、第二楽章に差し掛かったところで突如演奏が中断されてしまった。何事が起こったのかと訝っていたところ、ヴィンシャーマンがマイクで何やら話を始めた。私の拙い英語力で何とか理解したところでは、彼のオーボエのリード(reed)のコンディションが良くなくて、思うような音が出なくなったので、今日はその曲は中止せざるを得ないということだった。プロ中のプロでもそんなことが事前にチェックできていないものなのかといぶかしく思ったことを覚えている。

 

 

変わった経験と言えば、ソ連のピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルのコンサートでも経験した(1970.10.14)。リヒテルと言えば、当時はトップ中のトップと目されるほどのピアノの巨人だったが、大の飛行機嫌いで、来日など望むべくもなかった。そんな彼のコンサートが東京で開催と報じられれば、長蛇の列をものともせずに並んで前売り券を買ったのだった。曲目はベートーベンのピアノソナタを 3 曲(30、31、32 番)という地味だが難しい曲をやることになっていた。
その時も彼は飛行機を使うことなく、ソ連(モスクワ?)から何日もかけて鉄道でシベリアを横断して極東の港(ウラジオストク)にたどりつき、さらに船で日本の港(小樽か、新潟か?)までやってきたという。そこから東京までも列車での旅だろうから疲労するのは当然のことで、体調を崩してしまいコンサートが次々にキャンセルという事態に陥った。
私が抑えておいた演奏会は彼の日本での公演の最終段階のもので、その日のコンサートはまだ中止という決定はされていなかったけれど、実現するかどうかは危ぶまれた。そんな状況の中、公演予定の前々日になってようやく開催決定と報じられたときは本当にうれしかった。
会場は日比谷公会堂で、めったにない機会なので大枚をはたいて S 席を、それもピアニストの指先が見えるようにと二階席の前方、少し左寄りの席を確保しておいた。
席について開演を待っていたが、定時を過ぎてもなかなかリヒテルがステージに現れない。やはり体調が完全には回復せず、ドタキャンかと危惧し始めて 15 分ほど経った頃、想定外のことが起こった。皇太子(今上天皇)ご夫妻が来場され、私の席の数列前に着座されたのだ。そのような予定が組まれていたからこそ、コンサートを中止するというわけにいかず、公演が実現したのだろう。お陰様で、我々はめったに聴くことの出来ないリヒテルの生演奏を聴くことができたのだ。
リヒテルにしてみると、いくらかは無理を押してというところもあったようで、当初の予定のベートーベンの後期のソナタのような精神的に深い内容の曲は無理だと判断したのだろう、プログラムがムソルグスキーの“展覧会の絵”という外面的に派手な曲目に変更されていた。

 

 

きりがないから、もう一つ紹介して終わりにしよう。20 年ほど前(1998.9.25)のことになるが、仕事で倉敷に出張したことがあった。仕事を終え、訪問先の某社の常務の方と夜の会食があり、その後は二次会というお定まりのコースになった。案内されたのが某クラブで、そこで思いも寄らぬ幸運に巡り合えた。
その日の夕べに倉敷で今井信子のコンサートがあったとのことで、打ち上げのためにこのクラブに、共演したピアニストを伴って彼女がやって来たのだ。倉敷と言えば大原美術館で知られる大原家が有力者だが、その日の演奏会は大原家が後援し、その当主が今井さんたちを伴ってそのクラブに来店という運びになったようだ。私のその日のホストである某社の常務が大原家当主とは知己の間柄とのことで、そんな縁から私も今井さんを間近で見ることができた。

 

今井さんは知る人ぞ知る、ビオラ奏者として世界でもトップクラスの人で、私も古くからの大ファンだった。当時すでに彼女の CD を十数枚持っていた。
クラブのママが私を今井さんに引き合わせてくれたのだが,そのわけは,今井さんの娘さんがソニーの本社勤務だそうで,私がソニーの役員ということもあって、紹介の労をとったようだ。

 

その日の演奏会ではピアノの Roger Vignoles との共演で、ブラームスのビオラ・ソナタを取り上げたという話しだった。私はまさにその二人が演奏するその曲の CD も持っていたので、それを話題にしたところ、それがきっかけになって話しがはずんだ。
このクラブにはスタインウェイが置いてあって,古い木製で、世界に 2 台しか残っていない珍品だという。それを聞いた Roger が余興にそのピアノを弾いてくれた(ショパンのワルツとノクターン,それになんと月光ソナタの全楽章,さらに私の知らない小曲を一曲)。暗譜だし,即興だからミス・タッチもあったが,こういう場合はそんなことは問題にすべきではない。30 分以上も愉しい演奏を聴かせてくれたことに感謝、感謝だった。
こういうことは,小都市でしか起こり得ないのではないか。コンサートがあって,多分それを援助したその地の有力者が打ち上げの宴を催し,二次会でクラブに流れてくる。その人達を地元の有力企業の常務が顔見知り,という構図なんて,東京では考えられないでしょう。それとも、私は行ったことなどないので分からないのだが、銀座の高級クラブあたりではあり得ることなのかな。


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