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西研コラム

〈第30回〉フォンより本を


2017年8月30日

第一生命が毎年募集している「サラリーマン川柳」というのがあるが、その入選作に次のようなのがあった。

活字読む子どもの手には「ホン」より「フォン」

 

 

確かに、最近では通勤・通学の電車内で、子供のみならず大人でも本を手にしている人は極めて少なくなり、新聞を読んでいる人すらあまり見かけない。代わりにあふれているのはスマートフォンに夢中になっている人。
朝日新聞日曜版に「いわせてもらお」という投書欄があり、次のような文章が載ったことがあった(1992.2.9)。

 

 

私は学校の教職員。先日、学校の売店に行くと、売店の女性が「売り場を整理したので、いらない文庫本があるけど差し上げましょうか?」とヘルマン・ヘッセの「車輪の下」をくれた。
これは懐かしいと思っていたところ、彼女いわく、「それがね、ジョウ、がないのよ」。
はあ? と聞くと、「どこを捜しても上が見つからないのよ。見つかったらやるからね」

これは 25 年前の記事だけど、そんな昔からこの店員のように本とは無縁の人が多かったんだなあと思った次第。「車輪の下」と言えば、我々の中学時代には必読書ということで、私も岩波文庫で読んだ記憶がある。
最近は読書をしない若者がさらに増えているとのこと。次に紹介するのは今年(2017 年)2 月 28 日の朝日新聞のコラム「天声人語」に書いてあったこと。

 

 

一日の読書時間が「ゼロ分」の大学生がほぼ五割にのぼることが、全国大学生活協同組合連合会の調査で分かった。平均の読書時間は 24.4 分で、スマホの平均利用時間 161.5 分に大きく水をあけられている。

 

 

大学生ですらスマホを毎日 2 時間 40 分もいじくってるとは!
本を読まなくなった弊害なのだろう、誰でも知っていると思われる熟語を理解しない若い人が多いらしい。塩田丸男『食べる日本語』(講談社+α新書)に「一宿一飯」と題する次のようなこぼれ話が載っていた。

 

 

これを「イッシュク・イチメシ」と読んでいる若い女性がいました。はじめは聞き流していたのですが、あまりに何度もいうので、
「それはイチメシじゃないよ。イッパンと言うんだ」
と注意したら、その女性はしばらく首をかしげて考えこんでいましたが、
「あ、そうか。今はご飯じゃなくてパンの時代ですものね」
と大きくうなずきました。

 

 

似たような話しが、出久根達郎『いつのまにやら本の虫』(講談社文庫)にあった。

大学生が三島由紀夫の著書が読みたいというので出したら、ページをくっていたが、現代語訳はないのか、と返してよこした。

しかし、このようなスマホの悪影響の問題は笑い話では済まされないものがある。
2014 年に実施された「全国学力・学習状況調査」の結果を文部科学省が分析した結果、スマホの利用時間が長いほど算数や国語の平均正答率が低かったという。また、2016 年に東北大学加齢医学研究所と仙台市教育委員会が発表した研究では、勉強時間に関係なく、スマホを長時間利用していた子どもは偏差値が低下していたとするデータがあるそうだ。
これらのデータはあくまでもスマホ利用時間と正答率が反比例の関係にあることを示しているだけで、「スマホを使うほど、学力が低下するとは言えない」という意見もある。
しかし、池上 彰と佐藤 優の対談集『僕らが毎日やっている最強の読み』(東洋経済新社)で、お二人は次のような指摘をしている(一部省略)。

 

 

佐藤 「依存症」もネットの深刻な問題のひとつです。歩きスマホをやめられないのは「ネット依存」「スマホ依存」なわけです。こういった症状は容易にパチンコ依存やアルコール依存に転化します。時間の使い方としては、ものすごく危ない。
池上 逆にいうと、歩きスマホをしないのは、時間の使い方にメリハリがついていることの表れですよ。先日、東京大学で講義をしたとき、同行したテレビ局のプロデューサーが面白いことに気づいたんです。「歩きスマホをしている東大生をひとりも見ない」と。名前は出しませんが、ある大学に行ったときは、ほとんどの学生が歩きスマホをしていたそうです。それから意識して東工大でも観察していますが、大岡山キャンパスでも歩きスマホをいている学生はまず見かけません。
佐藤 そういうメリハリのついた使い方ができないと、一流の大学には合格しないんですよ。

 

 

ご両人の主張は、「優秀な大学生はちゃんとルールを守るから東大生等は歩きスマホなんかやらない」というのではない。「歩きスマホをやらない高校生つまり“スマホ依存症”に陥っていない若者だけが一流大学に合格できる学力を有するようになる」と言っているんです。
こういうことを言うと、「スマホで電子本を読んでなぜ悪い」との反論が出て来そうだが、これに対しては、立花 隆と石田英敬との対談集「立花 隆『読書脳』文春文庫)」の中で石田が次のように言っている。

 

 

石田英敬 ディスプレーで文字を読むときの脳活動と、紙の本で文字を読むときの脳活動は相当違うことが明らかになりつつあると聞きます。『ブルーストとイカ読書は脳をどのように変えるのか?』(インターシフト刊)の著者メアリアン・ウルフたちの研究では、紙の本を何度も立ち止まりながら読むとか考えながら読む、いわゆる「ディープ・リーディング(深い読み)」が人の注意力を養い、その人は自身の思考回路を作っていくといった知見が得られている。

 

 

読書のもう一つの利点として、江戸後期の経世家・佐藤信淵(ノブヒロ)(1769~1850)が「本は食料になる」ことを挙げているそうだ(出久根達郎『思い出そっくり』文春文庫)。それによると、“天明飢饉のとき、蔵書を水につけてふやかし、それを蒸して団子に作って一家で食べて飢えをしのいだ。村人たちが信淵にならい、寺の経巻を食って餓死をまぬがれた”という。スマホじゃ食べられないから役に立たないだろうね。でも、現代の紙は“湿潤紙力増強剤”というのを使い、濡れても破れ難くなっているから食用には向かないか?
天明の飢饉(1782~1787)がどれほどの被害をもたらしたかは、磯田通史『徳川がつくった先進国日本』(文春文庫)に詳しく書かれている。

 

 

享保以降、幕府は 6 年ごとに全国の武家人口を除く人口調査を行っていましたが、その記録によれば、天明の飢饉前の安永九年(1780 年)と、飢饉後の天明 6 年(1786年)の人口を比較してみると、実に 92 万人余もの人口減少が起きていることがわかります。そして、その 6 年後の寛政四年(1792 年)には、さらに 19 万人余の減少が見られます。

 

 

本が無かったら、被害はもっと拡大した?

いろんな意見があるでしょうが、スマホよりは読書の方が脳に対しては良い影響を与えるということは確かなようだ。
「さっきから偉そうなことばかり言っているが、お前はどうなんだ?」と言われそうだが、私はスマホは持っていない。いわゆるガラ系携帯電話を持っているだけで、これも主として外出時の連絡用機器として使っているのみで、情報収集には利用していない。だから、ケータイの使用時間は一日 5~6 分、長いときでも 10 分程度。代わりと言ってはなんだが、電車の中などでは常に本を読んでいる。それでも若い頃に比べると読書量は半分以下になっていて、一ヵ月に 2,500~3,000 ページくらいにしかならない。若い時にはもっと暇な時間が多かったから月に一万ページは読破した。現在では本を読むのにいちばんいい場所と時間は新幹線や飛行機内ですね。私はこれを移動読書室あるいは自動図書室と呼んでいる。
新幹線内だと車内販売のコーヒーを飲みながらゆったりと読書ができるからリラックスして読める。時には缶ビールの肴としての読書もあり得る。自宅での読書の場合にはコーヒーは自分で淹れなきゃいけないもんね。
先ほど引用した例に書かれているように若い人たちは三島由紀夫でさえ読み難いというのだから、夏目漱石、森外、島崎藤村などはもっと難しいんでしょう。ましてや樋口一葉などは「枕草子」や「源氏物語」と同列だと感じちゃうんだろうなあ。
これらの本を彼らが遠ざけるようになったのは、戦後になって旧仮名遣いが新仮名遣いに改められ、漢字も教育漢字とか当用漢字に制限された上に、字体も簡易化されたため読むことが出来なくなり、それが読書嫌いを加速させたと言われている。「分からない表現が出てきたら、スマホを使って調べたらどうなんだ?」と言いたい。

 

 

携帯電話やスマホでのもう一つの問題は、電車内で繰り返し「マナーモードに切り替えて下さい」と放送しているのにそうする人は少なく、電車に乗っていると必ずと言っていいほど、突如大きな音で電話の呼び出し音がすることだ。一瞬ビックリするよね。酷いのになると、その電話に出て大声でしゃべる。最初に書いた「サラリーマン川柳」に、

 

妻の口マナーモードに切りかえたい

 

というのがあったが、妻の口よりも携帯電話をマナーモードにする方が遥かに簡単なはずだから、ぜひ切り替えをお願いしたい。またまた「お前はどうなんだ」と言われそうだが、私は電車に乗るたびに携帯電話をマナーモードにするなどということは面倒臭いのでやっていない。「だったら偉そうなことを言うな」と言われそうだが、実は常時マナーモードにしているから切り替える必要がないのだ。だから、自分の携帯電話の呼び出し音がどんなものかは分からない。


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