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西研コラム

〈第22回〉「リチウムイオン二次電池(LIB)の誕生」


2017年8月30日

「死の谷」より怖い「止(シ)の谷」

 

現代は携帯電話、さらにはスマホの時代と言っても過言ではないくらい、若い人を中心に二六時中電話を手放せない人が多いようです。電車に乗っていて周りを見渡すと、乗客の半数近くが、せわしく指を動かしていますね。

しかし、「携帯も電池無ければただの箱」という川柳があるように、もしこの世に電池というものがなかったら、さしものモバイル機器もまったく役に立たないということになるでしょう。

携帯電話は約 5000 年前にすでにアメリカに存在していたという説があります。早坂隆『世界反米ジョーク集』(中公新書クラレ)に紹介されている話を以下に紹介しましょう。

ある時、フランスの考古学会がパリ郊外の地中 200 メートルの所から、銅製のケーブルのようなものを発見したと発表した。そして学会は、これは約 2000 年前にフランスに電話があったことを意味すると結論づけた。

続いて、中国の考古学会が北京郊外の地中 300 メートルの所から、同じく銅製のケーブルのようなものを発見したと発表した。そして、学会は、これは約 3000 年前に中国に電話があったことを意味すると結論づけた。

最後に、アメリカの考古学会がワシントン郊外で地中 500 メートルまで採掘したが、しかし何も発見することができなかった。そして学会は、これは約 5000 年前にアメリカに携帯電話があったことを意味すると結論づけた。

しかし、この発掘で携帯電話発祥の地がアメリカだと結論づけるのはちと早い。もし、本当にそうなら電池が同時に発掘されてもいいはずでしょう。ところが、 電池の始まりは約 2000 年前の BC 100~AC 100 年頃だというから、5000 年前には電池はなかった。最初の電池はバグダッド郊外のホーヤットラップァ遺跡から発掘されたものだとされている(下図)。

 

 

LIB誕生用画像1.jpg

 

 

発掘されたものは、図のような土器の中に銅製の筒が入っていて、その筒の中には鉄の棒が存在した。当時、電解液が何であったかは不明だが、試しに筒の中をワインビネガーで満たしたところ、0.8~0.9 V の電圧が発生したという。銅が正極、鉄が負極、ビネガーが電解液として働いたんですね。

しかし、これが本当に電池だったとして、いったい何に使ったんでしょうか?  一説にはメッキに使用したのではないかと言われている。電気メッキ法が当時すでに知られていたなんて信じられませんが・・・・。

日本では奈良の大仏(752 年完成)に当初は金メッキが施されてあったことが知られている。しかし、これは電気メッキではなく、金と水銀のアマルガムを作り、それが液状であることを利用して大仏に塗りつけ、水銀が蒸発して金が残るという方法だった。水銀が全部飛散するのに 5 年を要したそうで、おかげで、東大寺付近では作業員を中心に奇妙な病気が蔓延し、それが遷都の遠因になったとも言われている。水銀公害の嚆矢というわけです。

大仏師の国中公麻呂はその原因が水銀蒸気にあることを突き止め、作業者にマスクを着用させたという。日本は公害と公害対策に対しては 1300 年ほど前から先進国だった!!

 

 

 

などと、電話の笑い話にケチをつける野暮を敢えてしたのは、実は最初のリチウムイオン二次電池(以下、LIB と略称する)のアプリは携帯電話だったからです。1990 年にソニーが技術発表をし、翌 91 年に世界で初めて LIB を商品化し市場導入を行ったのだが、その時のアプリが携帯電話だった。

 

 

資料2

 

 

この時の LIB はエネルギー密度が 200 Wh/、80 Wh/kg 程度で、現在の到達レベルの 1/3 程度しかなかったから、連続通話時間も 35 分と短いものだった。それでも当時の代表的二次電池だったニッケル・カドミウム電池(Ni-Cd)や鉛蓄電池は言わずもがな、台頭し始めていたニッケル水素二次電池(NiMH)をも凌駕していた。この電話はソニー製だが、京セラのブランドで販売されたことを付け加えておこう。

ソニーは 91 年当時、まだパイロット・プラント的な設備で LIB を造っていたが、その後、福島県郡山市に本格的な量産工場の建設に着手し、91 年 3 月 15 日に地鎮祭を行った。建設予定地の地主がイギリス人女性で、彼女にも式に参加してもらったのだが、彼女にとっては物珍しかったのでしょう、神主の一挙手一投足をきょとんとした顔で見ていたのが印象的でしたね。

 

 

その 1 年後の 1992 年 3 月 10 日には竣工式を迎え、さらに約半年をかけて製造設備などの設置を行い、同年 7 月 3 日には完成お披露目パーティを市内のホテルで開催というところまで漕ぎつけた。これで、苦労の甲斐あって LIB の量産移行が無事完了したと思ったのだが、事はそれほど甘くはなかった。

量産ラインで製造した LIB の性能がパイロット・ライン品よりかなり劣るという評価データが出てきたのだ。パーティ当日は、朝から我々開発部と負極炭素メーカーが集まって鳩首凝議して対策に大童だった。パーティ出席どころではない。

 

 

どうにか対策案をまとめて会議を終えたのは夕刻で、パーティはすでに終了していた。電池はいったいどうなっているのかと心配した工場長から電話が入ったので、「問題は解決できます」と請け合ったが、「ともかく顔を見せろ」と言って指定された場所が、当時私も時々使っていたスナックだった。工場長は何人かと二次会をやっていたらしい。

スナックに駆け付けたのは 21:30 頃だった。行ってみたら、彼の部下が 3 人ほどいるだけだった。「カウンターに突っ伏して眠ってしまったので、車を呼んで先に帰した」ということだった。問題は解決できるという私の返事を聞いて心労から解放され、緊張が解けたのでしょう。

工場長が焦ったのも無理からぬことで、新工場で生産される LIB は、当時のソニーの花形商品の一つだった 8 mm ビデオカメラ(カムコーダー)の新機種に搭載することになっていて、秋に発売と決められていたからなのだ。もし、それに間に合わなかったら、その後の LIB の運命は惨憺たるものになってしまう。

 

 

それから約 1カ月半の我々の懸命の努力が実って、ビデオ事業部を交えた 8 月 26 日の出荷判定会議で OK となり、9 月 3 日にはソニー本社でメディアを集めて新しいカムコーダーのプレス・リリースが行われた。その席では私も電池についての発表をやらされたが、ビデオカメラの発表で、一部品に過ぎない電池をとくに取り上げてくれたというのは、LIB の良さが認識されたからだろうと思う。

当時のビデオ事業部は強気で、カメラ 1 台につき、電池は 5~6 パックは売れると言う予測をしていた。電池 1 パックに電池は 4 本入っていたし、ビデオ・カメラも月何十万台と売れていたから、月産百万本単位の LIB を製造しなければならないという、当時としては破天荒の要求となっていた。そのために、大掛かりな製造ラインを準備したのだ。

ところが、蓋を開けてみたら、カメラ 1 台あたりの電池売り上げは平均 1.2 パックしかなかった。予測の 1/5 程度しかない。それまで使われていた Ni-Cd より遥かに LIB の性能が良く、多くの予備電池を持つ必要がなくなったということなのでしょう。

 

 

つまり、製造キャパを過大に持ってしまったという結果になったわけですね。ここで頑張ってくれたのが技術営業の人たち。新規ユーザーを求めて日本、アメリカを歩き回った。その結果、アメリカの PC メーカーの Dell が手を挙げ、ノートブック PC の電源として採用してくれた。彼らは、「ニューヨークからロサンジェルスまでのフライトの間中、PC を連続して使えます」というコピーで宣伝した。当時、この区間は 5 時間くらいのフライトだったが、Ni-Cd では到底 5 時間は持たなかった。それを機に、LIB が PC 用として飛ぶように売れ、工場も三交代勤務で 24 時間稼動をしなくてはならないほどになった。

その結果、LIB の認知度が上がり、1995 年にカリフォルニアで開催された “Power Sources 1995” という電池学会からの依頼で私が LIB についての講演することになった。

英語が苦手な私にとってこれは有り難い話だった。もし英語で講演したとすると、森喜郎元首相の失敗談みたいなことになりかねない。その話を、相原茂「笑う中国人」(文春新書)に基づいてかいつまんで紹介しよう。元首相が訪米し、クリントン大統領と会談した時のことだという。周辺の人々が彼に次のように教えた。大統領に会ったら、まず握手をして、“How are you?” と言う。クリントンはきっと、“I am fine, and you?” 言うに違いない。そこで森首相は一言、“Me too!”と言えば OK。

アメリカに到着し、クリントンとの会見。両手を伸ばし、完璧なアメリカ式発音で・・・・。しかしそのとき口をついて出たのは、“How are you” ではなくて、何と “Who are you?” という一言だった。驚いたのはクリントン。しかし彼は歴戦の強者、これぐらいのことではびくともしない。とっさに傍らにいた夫人を引き合いに出し、“I am Hillary’s husband”と応じた。それに対し、森氏は微笑みを浮かべ、自信たっぷりに“Me too!”と言った。

元首相みたいになりかねない私が気楽に講演を引き受けたのには訳があって、日本人の参加者(聴講者を含め)を多く招こうという意図からだと思うが、同時通訳がついていて、講演は日本語で OK だったからだ。ところが、訊いてみたら同時通訳のスポンサーは松下電池だという。講演の冒頭で私が、「スポンサーが松下電池さんだからと言って、ソニーに不利になるような通訳はしないで下さいね」とやったところ、会場が笑いに包まれ、私も講演を楽な気持ちで行うことができた。

 

 

私の他にどんな講演者が招かれているのか詳細については何も知らされていなかったので、Dell の副社長が私に先だってユーザーの立場から LIB についての講演をしたのには驚いた。講演後の Q&A で、会場から Dell に対し、「LIB を使いたいのだが、どうすれば入手できるのか」という質問が飛んだ。当時は、LIB の量産を行っているところが少なく、ソニーのシェアが 90% を越えるほどだった。Dell の答えは、「LIB が必要なら、ソニーと仲良くしなさい」というものだった。いやあ、昨今の状況を考えると、まったく昔日の感がありますね。

この PC 用の円筒形 LIB は 18650 サイズと呼ばれる物で、直径が 18 mm、長さ(高さ)が 65 mm になっている。この 18650 の円筒型電池は今ではデファクト・スタンダードとなり、各社がこのサイズの電池を製造している。

 

 

ソニーは 18650 電池で大成功を収めたが、携帯電話用の角型電池では遅れをとった。我々開発部隊は角型 LIB の開発も怠りなく進めていたが、事業本部のトップは、「18650 でうまくビジネスが展開されているときに、儲かるかどうか分からないものを新たにやる必要はない」と言い、商品化はダメだという判定だった。

ところで、産業界でよく言われる「死の谷」という言葉をご存じだろうか。死の谷、Death Valley とはカリフォルニアにある砂漠のことで、そこにうっかり迷い込むと出るに出られなくなり、死に至る虞があるというところから名付けられたそうです。日本で言えば富士山麓の樹海のようなところでしょう。

産業界でも「死の谷」という言葉がよく使われる。R&D の努力で新製品が出来たとしても、それを商品化しようとすると、製造設備などを揃えるのに莫大な資金を必要とし、なかなか製造に踏み切れない。うっかり、踏み込むと企業の死を招くかもしれない。そこで、このバリアを称して「死の谷」と呼んでいるのです。

しかし、開発を阻むのは何も「死の谷」だけではなく、トップや上司の「そんなものはやるな」「止めておけ」「そんなもの儲からない」などと言った圧力だというケースも多い。私はこれを「死」ではなく「止」という字を当てて、「止(し)の谷」と呼んでいる。実際、「死の谷」よりも「止の谷」が行く手を遮ることが私の経験でもかなり多かった。角型 LIB が遭遇したのがまさにそれでしたね。

LIB そのものの開発も最初の頃は、「現行の電池ビジネスがうまく行っているのにそんな無駄なことをするな」という事業本部の「止の谷」が立ち塞がろうとしたが、当時の盛田会長から「やるべし」という“印籠”を頂き、「この紋所が目に入らぬか」と「葵の御紋」を振りかざして邪魔者を排除して前進することができた。

 

 

ところが、角型の商品化に際しては、盛田さんも引退しており、「葵の御紋」が手に入らなくなっていた。ご承知のように、携帯電話の大ブレークとともに、角型 LIB 市場は急激に拡大して行ったが、ソニーは「止の谷」のせいでその恩恵にあずかることができなかった。

上司が新しいこと実行することを認めて、それが失敗に終わった場合、その上司も責任を問われることが多い。しかし、「やるな」と言ってやらせずにおいて、それが裏目に出た場合に責任を云々されることはまずない。となると、上司としては「やめろ」と言って「止の谷」になったほうが、身の安全を図れる確率が高いことになる。だから、やらせなかたために後れをとった場合にも責任を問うべきなのだ。

これは「成功は失敗のもと」ということにもつながる。普通なら「失敗は成功のもと」と言うべきだが、ビジネスの世界では「成功は失敗のもと」という事例が圧倒的に多い。一つの商品で大成功を収めると、そこに安住してしまい、次のための新しい手を打とうとしなくなって、「止の谷」が行く手を遮る。ソニーで言えば、トリニトロンが大成功したのはいいが、そのお陰で液晶テレビへの進出が遅れたし、ウォークマンの大ヒットのおかげで、iPod 型のものをなかなか手がけようとしなかった。

 

 

EV 用電池も同じ憂き目に会った。ソニーは日産自動車と EV の共同開発を実施し、90 年代後半には一充電 200 km くらい走行可能な BEV(Battery EV)を開発し、日産はアメリカなどで数百台を販売したと聞いている。ところが、残念なことに当時の社長の「止の谷」により中止の止む無きに至った。15 年も前に、現在の BEV の性能に近いものが出来ていたのだから、「その後も開発を続けていたら今頃は」と思わざるを得ない。

「止の谷」のほかに直面した難事は、化学という電池が扱う特殊な分野がもたらす周囲との軋轢だった。ソニーはエレクトロニクスの会社なので、電気工学、物理学、機械工学などをバックグラウンドとする人たちが中心になっている。これらの分野は線形工学と言える。つまり、変数が二つある場合、数式で書けば Y = aX + b という形で表現できるケースが多い。ところが、化学ではそうはいかない。たとえば電池で言えば、使用温度、電圧、電流などがあるレベルを超えると異常な反応が起こる。化学は非線形工学と呼ばれる所以だ。LIB でも充電電圧や使用温度範囲を守らないと、熱暴走の原因になることが多い。不純物レベルも非線形的な問題になる。

 

 

品質管理も相当気を使わないと拙いことが起こる。正負極活物質の粒径分布、電極の厚さ、正極/負極間の距離なども LIB に及ぼす影響には非線形的要素があり、厳密に決められた値にもっていかないとダメだ。

ところが、ソニーは上に言ったように線形工学系の人が多いので、そんな人が上司の場合には非線形工学を理解してもらえず(あるいは、理解しようとせず)、よく私のチームと衝突した。我々は品質、品質と言って、神経を使って製造しているからなかなかタクト・タイムがよくならない。それが上司の気に入らないのだろう、次のようなやり取りを私としたことがあった。彼曰く、「LIB なんて簡単に作れるよ。正極/セパレーター/負極を重ねてぐるぐる巻くだけじゃないか。巻き寿司みたいなもんだ。何もそんなに神経使うことはない」と。私は、「寿司職人が作った巻き寿司は皆が食べるけれど、あなたが作ったものは誰も食べませんよ」と言い放った。部門運営会議の席上だったので、出席者が大笑いし、上司も何も言い返せず黙ってしまった。私の部下の言によると、彼は後々まで事あるごとにその話を悔しそうにしていたそうだ。

 

 

もう一つ、価格の問題がある。LIB ユーザーであるたとえば PC メーカーは、常に LIB の容量アップを要求してきた。PC の機能やソフトが次々の付加される、その結果、PC の消費電力が増して可使時間が短くなることを恐れたのだ。当然、性能が上がれば電池単価は高くなる。ところがそれが彼らの気に入らない。容量(Wh)あたりの値段で評価してくれればいいのだが、あくまでも 1 本当たりの値段を下げろと言ってくるから、コストを上げずに性能を向上させよと言っているに等しい。性能は上げなくていいから、安くせよというなら分かるのだが・・・・。

スコットランド人はケチで、それをネタにしたジョークが多い。

スコットランド人のマックミラン氏が結婚し、式の後、聞いた。

「牧師さま、お礼はいかほどになりますでしょうか?」

牧師は頭を下げ、

「花嫁の美しさにふさわしいだけ、といたしましょう」

しめたと思ったマックミラン氏は、1 ポンドだけ献金した。

あきれた牧師は、おもむろに花嫁のベールをめくり、マックミラン氏に 50 ペンスを差し出して言った。

「お釣りです」(烏賀陽正弘『「世界がわかるアメリカ・ジョーク集』知的生き方文庫)。

LIB がこの花嫁みたいなら、価格を下げるのもやむを得ないが、美人(高性能)だったら献金(代金)を上げることを認めるべきだ。

 

 

さらに悪いことに、PC の改良が進み、昨今では消費電力がどんどん小さくなってきて、何も我々が追い求めたような高性能 LIB ではなく、一時代前のもので十分だということになってき。そうなると、最新技術を必要としない旧タイプの電池を安く作った者が勝ちということになってくる。かくして、日本は韓国や中国にコストで負け、シェアを次第に落としていった。2011 年には国別シェアで日本と韓国がほぼ横一線となり、12 年には韓国が日本を抜いた。3 位の中国は日本、韓国に比べるとまだシェアは小さいが、儲かると分かれば何にでも参入してくる中国のことだから、今後は要注意だろう。

中国政府は、ゴキブリ一掃の国民運動を開始し、国民の関心を高めるため退治したゴキブリ一匹毎に賞金を出すことにした。その結果、国民の間ではゴキブリの飼育が大流行している(松澤一直『「頭でわからないなら尻で理解しろ!』ベスト新書)というジョークがあるくらいだ。

 

 

今後は LIB のアプリが PC や携帯電話などのポータブル機器の他に、xEV(BEV、HEV、PHEV をひっくるめてこう呼ぶ)や ESS(定置型蓄電池)の用途が拡大すると予測され、それらの分野で日本の LIB が主導権を握ることができれば、我が国の LIB も昔日の栄光を取り戻すことができるのではないだろうか。

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