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西美緒技術研究所

『創意工夫』と『先端技術』の育成


研究・開発の第一線に求められる技術者の育成を目的に西美緒技術研究所を設立いたしました。

企業エンジニアに求められる要素は技術はもちろん、経営・マネジメントの能力も必須となっております。本研究所は技術のみにフォーカスするのではなく、技術を通した「人材の育成」を目的としております。

西美緒技術研究所 所長:西美緒(にし よしお)

所長挨拶


落語家、六代目・三遊亭円生は、名人と称えられるようになった後も、「舞台はすべからく命をかけてやらなくちゃいけない。 生きている間は勉強です。嘘ではございません。一日でもうまくなって死にたい」と、言っていたそうです。

私たち新技術の開発に携わるものは、円生師の言うように、毎日が命がけの“勉強”だと思います。 そうすることによって、結果は自ずから付いてくるものだと信じております。

当研究所はそのような“勉強”の場を提供し、皆様の成長の一助となればと願っております。

Career Partners

活動内容


ドレイパー賞について

西美緒氏(現キャリアパートナーズ顧問)がドレイパー賞を受賞しました


キャリアパートナーズ 西 美緒 顧問
全米工学アカデミー「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」を受賞
2014年1月8日
株式会社キャリアパートナーズ

西美緒氏(現キャリアパートナーズ顧問、元ソニー株式会社 業務執行役員上席常務マテリアル研究所CTO)が、「小型で軽量のモバイル電子機器を可能にしたリチウムオン電池(LIB)の設計」により、アメリカの民間非営利研究機関「全米工学アカデミー(英:National Academy of Engineering)」が表彰する「チャールズ・スターク・ドレイパー賞(英:2014 Charles Stark Draper Prize)」を John B Goodenough氏、吉野彰氏、Rachid Yazami氏とともに受賞することが決定いたしました。

「チャールズ・スターク・ドレイパー賞」は、全米工学アカデミーが工学の発展に貢献した人物に授与するもので、工学のノーベル賞とも呼ばれています。

リチウムイオン電池を実際の商品化に世界で初めて成功したのは、ソニーであり、その開発の中心的な役割を担ったのが西美緒(にしよしお)元マテリアル研究所長でございます。87年初頭から研究開発に取り組み、ほぼ4年後の90年暮れに製品として完成しました。

現在では様々な製品に利用が広がり、新たな電力網への実現の為のキーデバイスとして大きな期待がもたれております。

キャリアパートナーズ社は、世界初のリチウムイオン電池の製品化に貢献された西氏の 功績を称えると共に、今後も日本の高度な技術、技能を活かす活動に貢献して参ります。

全米工学アカデミー公式サイトはこちら

西美緒氏(現キャリアパートナーズ顧問)ドレイパー賞 受賞コメント


アメリカ東部時間2014年1月6日に、アメリカの技術アカデミー(National Academy of Engineering = NAE)は今年の Charles Stark Draper 賞をリチウムイオン二次電池(以下、LIB)の開発に功績があった4人に授与すると発表した。本人もたいへんびっくりしたのだが、私の名前がその中に含まれていたのです。もっとも新聞によっては(私の知る限りでは2紙)、私の名前が載らなかったのもあった。

私がLIBの開発に従事したのはソニーにおいてだが、会社も最近は電池に関しては関心が薄れてきたようで、電池部門の売却話が持ち上がったこともあるくらいなので、ソニーがこのような賞の受賞に関して運動をするはずがなく、まさか受賞するとは思ってもいなかった。仄聞するところによると、日本工学アカデミー(中原恒雄名誉会長)にいろいろお世話頂いたようで、そのお力添えが大きかったのだろうと愚考している次第。さらに、その陰には(株)キャリアパートナーズ、渡邉諭社長の並々ならぬ支援があったことも忘れてはならない。

この「Draper賞」というのは、チャールズ・スターク・ドレイパー(Charles Stark Draper、1901年10月2日-1987年7月25日)という人を記念した賞で、「工学のノーベル賞」と言われているそうだ。日本では、昨年(2013年度)に奥村善久氏(元 NTT)が初めて受賞された。携帯電話システムの創製に功績大であったと認められての受賞だということです。

Draperという人は、アメリカの科学者で、「慣性航法の父」とも呼ばれているそうです。MIT機械工学研究所の創設者で初代所長であり、NASA のアポロ誘導コンピュータの設計・製作を指揮して、アポロの月着陸を可能にした人物とのこと。Draper 賞がスタートしたのは 1988年なので、Draper博士が亡くなった翌年に始められたことになりますね。

私の作文にしてはちょっと格調高く(??)書き出してしまったけれど、少し調子を落として私のR&D経歴に触れ、LIB開発に至った道程を紹介しよう。一読頂ければ、私の研究開発人生が、LIBに向かって一直線というわけではなく紆余曲折があったこと、しかし、脇道と思えたことも振り返って見れば決して無駄ではなかったことが分かって頂けるだろう。

十で神童、十五で才子、二十歳すぎればただの人、といふことわざよりも、ぼくはすこしませてゐたやうな気がする。つまり、十五くらゐのころには早くも凡庸であることが明らかになってゐた。
と、丸谷才一が『低空飛行』(新潮文庫)に書いている(氏は旧仮名論者なので、そのまま記載した)が、私はもっと早熟で、小学生のときにすでに教師から無視されるほどのダメ児童だった。

そんな私が、化学というものが面白いと思うようになって、将来の進むべき方向らしきものが見えてきたのが、中学一年生の時だった。小さい頃から動物を飼うのが好きだったこともあって、課外活動では生物クラブというのに入った。

クラブで指導教官から与えられた研究テーマが、「金魚の酸素摂取量に及ぼす水温の影響」というものだった。金魚を入れた水槽の水温を40℃くらいまで上げたり、氷で零度まで冷やしたりして、その中で金魚を一定時間飼った。魚にとっては“金魚迷惑”だったことだろう。そして、水に含まれる酸素量を“ヨード滴定法”と呼ばれるやり方で測定した。得られた結果はともかくとして、化学ってなかなか面白いものだなあということが強烈にインプットされた。

高校では課外授業はやらなくてもよかったので、化学について特別なことはやらなかったが、中学の経験が強く影響して、大学では応用化学科を専攻した。口の悪い連中は、「化学という分野が好きだから応化を選んだんじゃなくて、応化がいちばん女子学生が多かったからだろう」などと揶揄するけれど、う~ん、それも少しはあったかもしれないな。

卒論では“化合物半導体”の合成というテーマを与えられ、Zn-Sb合金の単結晶造りに一年間必死になって取り組んだ。たまたま飛び込んだ世界だが、就職は半導体の会社にと決め、当時半導体で上り調子だったソニーを選択、入社した。

ところが、ソニーに入社したものの、半導体とはまったく無縁の、中研の燃料電池の研究室に編入され、ほとんど経験のない電気化学の分野をやる破目になった。
その研究室が取り組んでいたテーマは、研究室長のアイデアに基づくもので、そのテーマが成功するためにはいくつかの前提条件が証明されなければならなかった。しかし、室長はそれらの課題を「こうなるはずだ」と決めてかかって証明しようとはしなかった。私の同僚たちは、「室長に逆らうと給料が上がらなくなる」と明言して憚らず、室長の言うがままに仕事を進めていた。

私は、室長の言う前提が成立しなければ、そのテーマは立ち行かないと思い、一人でこつこつと一つ一つ検証していった。ところが出てくるデータは、室長が信じるほとんどの前提がまったく成り立たないという事実を突き付けてきた。そこで、私はそれらの前提を成り立たせるために、電極構造、触媒、電解液などの改良を行い、その効果を実証して多くの特許を出願した。しかし、最後には解決不可能な大きな問題が一つ残ったため、室長にそのデータを突き付けて、「この開発は止めるべきだ」と進言した。その頃には、室長も私の実績を認めてくれていたので、「君がそういうのなら、止めよう」と言って、そのテーマの中止を決めた。しかし、その年の暮のボーナス査定の悪かったことと言ったら!

この仕事は8年間やったけれど、結果的には無駄な時間を過ごしたなあという気持ちが強かった。けれども、R&Dは「かくやるべし」という教訓をいくつか得たわけで、それがその後の研究開発に大いに役立った。
その教訓の主なものは、

1)「こうなるはずだ」でR&Dを進めてはダメ。必ず、実証してから次に進むこと。つまり、“Show me the data!”これは、立場が変わって、管理職になったときも、部下に対して要求した。

2)従って、先行論文を読んでもそれを盲信しないこと。必ず、“突っ込み”を入れてみる。

3)そのテーマの先行きが覚束ないというデータが出てきたら、自らでも、中止したほうがマシ。ダメなテーマをダラダラ続けることほど惨めなことはない。

4)上司は御しやすい部下を集めがちになる。反対意見を出すような部下は嫌われ、異動させられたりする。上にも述べたように、当時の同僚たちは決して室長に反対しなかったから、室長は好きなようにテーマを進めていたのだ。つまり、上司は仲良し内閣を作りたがるという習性がある。野村克也は『あぁ、監督』(角川 one テーマ 21)の中で次のようなことを言っている。
異分子や異端児であっても、頭から拒否せず、しっかりと能力を見極めるだけの度量が監督には必要なのである。つまり、好き嫌いで判断してはいけないのだ。大リーグに「好き嫌いで選手を起用する監督は最低の監督だ」という名言がある。
このことは、自分が管理職となったときに心に言い聞かせたことだ。

5)燃料電池開発は結果としては失敗し、挫折したわけだが、失敗で挫けてはならない。吉田直哉『思い出し半笑い』(文春文庫)の言を借りれば、
ハーバード大学では入試の面接のときに「挫折回復能力」というのをテストして、その点数を一番重視する、という話を聞いたことがある。 つまり、挫折を乗り越えて、強くなっていくことが大切なのだ。ということになる。

かくして、燃料電池のテーマは中止となり、次に配属されたのが、これまた私にとっては未知の分野だった音響材料の開発部隊だった。主として、スピーカー、ヘッドフォン、マイクロフォン、当時まだ存在したレコード・プレーヤーなど、いわゆる電気音響変換器に使う材料の開発を担当することになった。もう少し具体的に言うと、スピーカーやヘッドフォンやマイクなどの振動板、スピーカー・ボックス、レコード・プレーヤーのベースなどといった音響製品に用いる材料にはどんなものがいいのかを研究し、その材料を開発するというのが仕事になった。簡単そうに見えてこれが実はたいへん難しい仕事だった。音と言うのは実にデリケートで、スピーカー・ボックスに塗布する塗料を変えただけで音がガラリと変化するという世界だ。

こういう世界だから、あらゆる材料を扱わなければならなかった。紙パルプ、プラスチック、合成樹脂/無機化合物の複合体、セラミックス、金属、プラスチック繊維、無機繊維、バイオ材料などなど、手掛けた材料を挙げだしたらきりがない。

おかげで大変に勉強になった。ロケットの権威、糸川英夫の教えに「研究開発者はロータリー・スイッチ型の接点を持て」というのがある。たとえば、電池技術者だと、その付き合い範囲が電池関連分野に限られてしまうことが多いですよね。これを糸川は「ナイフスイッチ型接点」と呼ぶ。つまり限られた一つの方向にしか人脈や知識が存在しないという意味です。しかし、時代は複雑な技術の複合化を求めるようになってきているので、これからはいろんなテリトリーの人(しかも、理系とか文系にこだわらず)と知己になる、つまりロータリー・スイッチのように多方面に接点を持つ必要があるということを言っているのです。

音響材料というのは上記のように多岐に亘るので、多方面の技術に接点を持つ必要があり、従って、人脈もいろいろな分野に広がらないといけない。12 年間音響材料と関わっている間に、多方面の人脈や知識との接点を持つことができた。

この人脈がLIBの開発にずいぶん役立った。LIBもそれまでの電池とは異なり、電池屋には馴染みのない材料をいろいろ使わなければならないことが、開発中に分かってきた。そんな時、この材料開発にはロータリー・スイッチの接点A を使おう、あの材料にはBを使おうと、いろいろな研究者、材料メーカーと交流することができた。

一人からアイデアを盗めば、剽窃であり、多くの人からであれば、科学的研究となる(さとう好明『ロシアのジョーク集』東洋書店)というジョークもあることを書き添えておこう。

ついでに書いておけば、「天才とは九十九パーセントが発汗であり、残りの一パーセントが霊感である」というエジソンの言葉は誰もが口にする一種の格言ですよね。ところが、福光潤『翻訳者はウソをつく!』(青春新書)によると、この日本語訳ではエジソンの真意は伝わらないという。エジソンの言葉は
Genius is one percent inspiration and ninety-nine per cent perspiration.
というものであって、「天才にはひらめきが必要条件。1% のひらめきがなければ、99%の努力はムダである」、そう言いたかったのに、当時の記者が、一般ウケを狙ったのか「努力は美徳」というニュアンスで捏造してしまった。後年のインタビューで、エジソンはそう語っているという。

天才とまで言わなくても、研究開発で何かを成し遂げようとすると、何らかの「ひらめき」が物を言うのは間違いない。この「ひらめき」はどこからくるか? 私は、それはやはり多方面の接点を持つことだと思っている。つまり、以前にこのカラムに書いたように、いろいろな本を読み、いろいろな人と付き合っていれば、その接点から発信されるひらめきが問題解決の糸口になると信じている。暇さえあればスマホをいじっていては何の役にも立たないと思う。

音響材料の開発には12年間従事し、燃料電池を合わせると20年間、LIBとは無関係のことを無駄にやってきたようにも受け取られるかもしれないが、決してそんなことはない。燃料電池では電気化学を学んだし、室長を反面教師としてマネージャーがやるべきこと、やってはならないことを勉強した。
また、音響材料では多彩な材料を経験し、広い人脈を作ることが出来、それがLIBの開発に力を与えてくれた。

音響分野に転身してからのことだが、燃料電池に関連して私を評価して下さっている人が意外なところにいるのを知らされて驚いたことがある。音響の特許担当者が社外で開催された特許セミナーに参加したのだが、そこで講師が特許のロードマップの見方についての話したときにソニーの燃料電池特許の流れを例に説明をしたのだそうだ。「ソニーの燃料電池関連特許には碌なものはなかったのだが、ある年を境にして素晴らしい特許が次々に出願されるようになった。それは西という人がチームに参加してからだ」と言ったというのだ。上にも述べたように、室長の盲信をいい方向に持って行くためにいろいろな改良を行い、特許出願をしたのだが、そのことに言及していたようだ。

この話は私に一つの教訓を与えてくれた。それは、「ちゃんと仕事をやっていれば、どこかでそれを見てくれている人がいる」ということだ。事実、LIBの実用化の際にも、上司と対立したことが多かったが、会社トップの中に私を評価してくれる人がいて、地獄から救い出してくれたものだ。

そうこうするうちに盛田会長から「ソニーにも二次電池が必要」という号令が降りてきたため、音響材料はまだまだ開発途上のものがあったのだが、それは後進に譲って、再び電池開発に戻った。その後の経過は別項に書いたので、それをご覧頂きたい。


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