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西研コラム

〈第3回〉 ターミナル・ホテルには泊まりたくないネ


2017年8月30日

井上ひさしが週刊文春(1990.9.27 号)に書いていたことだが、運動着を“トレーニング・パンツ”というのは日本でしか通用しない。アメリカ人にとってトレーニング・パンツとは、幼児用パンツのことで、おしめをやめるときの練習用のパンツのことだという。「今日の運動会には、トレーニング・パンツを穿いて行きます」などとうっかりアメリカ人に言ったら、とんだ笑いものになってしまう。

 

実は、この手の誤解を生む和製英語は他にもいくつもある。たとえば、“ターミナル・ホテル”というのが、大きな駅の近くに必ずあるでしょう? ところが、多くの国では、終末医療の施設をターミナル・ホテルと言うそうだ(永六輔「大往生」岩波新書)。だから、こんな名前のホテルには泊まりたくない。末期ガンか何かの患者と思われてしまう。

 

それから、“フリー・サイズ”。英語圏の人は、タダ(無料)の服だと思うらしい。だから、こんなタグの付いた洋服を外国人に見つけられたら、タダで持っていかれてしまう。正しくは One Size Fits All と言わなければならない。フリーには、無料という意味がありますからね(フリー・ダイヤルがその例。もっとも、正しくは toll-free dial といわなければならないが )。某ビール・メーカーがノン・アルコール・ビールをフリーと名付けて売り出したが、缶に大きく FREE と書かれているから、あれもタダだと勘違いされるかもしれない。

 

“モーニング・サービス”も彼らには奇異に聞えるらしい。教会などで早朝に行なわれる礼拝などと間違えられるそうだ。熱心なクリスチャンと思われるかもしれない。

 

いちばん気をつけなきゃいけないのは“スキンシップ”でしょう。稲垣吉彦(「最近日本語歳時記」河出文庫)によると、「アメリカ人はそんなことは言わない。もし、言うとすればそれは子どもに対してではなく、成人の男女関係についてだろう」とのこと。同じ皮膚関係でも、人前で言うのをはばかるたぐいの言葉らしいというから、気をつけないといけない。うっかり、「もっと、スキンシップを深めましょう」などと言おうものなら、ビンタを食らいそうだ。

 

われわれが誤用しやすいのは、何も英語に限ったことではない。日本語にもある。いささか古いが、朝日新聞(2005.8.21)の川柳投稿欄で、

「帯水と言うが近ごろ遠くなり」

...というのが撰に入っていた。「一衣帯水」という言葉があって、日中関係はよく「両国は一衣帯水の間にある近しい国だ」と言われていた。ところが、2005 年当時は反日デモなどで、両国の関係がかなり怪しくなってきていた。それを踏まえての句であろう。

しかし、駒田信二(「漢字読み書きばなし」文春文庫)によると、「衣帯」とは、「衣服と帯」ではなくて、「衣服につける帯」をいう。したがって、「いち・いたいすい」または「いち・いたい・すい」と読むのが正しい。つまり、「帯水」などという言葉はないので、「いちい・たいすい」という読み方はあり得ない。川柳選者も知らなかったらしい。不勉強ですね。

 

スポーツ記者なんかは、「ゲキを飛ばす」という言い方が好きらしくて、新聞の見出しにもよく出てくる。「情けない負け方に腹を立て、原監督は選手を集めてゲキを飛ばした」といった具合。高島俊男は「本が好き、悪口言うのはもっと好き」(文春文庫)に次のように書いている。「これはねえ、もし言うなら『活を入れる』と言うんだよ。『ゲキを飛ばす』というのは、遠くにいる味方(あるいは味方になる可能性のある勢力)に呼応をよびかける書信を発すること。漢字で書けば『檄』だ。目の前にいるやつを叱りつけるのをゲキなんて言うものか」

 

たとえば、源頼朝が平家追討の院宣を受けて檄を飛ばしたのは、自分の部下である鎌倉武士に対してではなく、全国の武士団に対して「鎌倉の見方をせよ」と呼びかけたわけですね。だから、原監督がタイガースのベンチに行って檄を飛ばすのなら分かる。ジャイアンツに味方せよと呼びかけることになるわけですからね。もっともそんなことをしたら八百長と言われてしまうが。

電池にも誤解を生みやすい言葉が実はあって、cathode、anode がそれ。この話、書いているうちに自分でも頭がこんがらがってきたほど、ややこしい。
テレビの CRTは cathode-ray tube の略で日本語では陰極線管と言う。定義では、マイナス電荷を持ったもの(電子、陰イオン)を出す側、あるいは、プラス電荷を持ったもの(陽イオン)が入る側を cathode と言う。陰イオンが出る所だから日本語で陰極と訳したようだ。逆に、プラス電荷を持ったものが出る(マイナス電荷を持ったものが入る)側は anode で、陰極の反対ということで陽極となった。CRT は電子を放出するから cathode を陰極というわけだ。これが物理屋の用語になっている。

 

「ちょっと待って、電池は逆じゃないの?」と言う声が聞えてきそうだ。例えば、リチウムイオン二次電池の場合、放電時には電池としてのマイナス極から Li イオンが出て、プラス極に Li イオンが入って来るので、プラス極が cathode、マイナス極が anode で、上記の定義と齟齬はない。ただし、これを物理屋の感覚で日本語にするとプラス極が陰極、マイナス極が陽極になってしまう。なんだか変だ。

 

一方、充電時には電池としてのプラス極から Li イオンが出るので anode、マイナス極へ Liイオンが入るので cathode と言わなければならなくなる。このケースでは、日本語ならプラス極が陽極、マイナス極が陰極となる。プラス極=陽極、マイナス極=陰極だから日本語としては感覚的にはこれでいいのだが、英語を当てはめると、プラス極=anode、マイナス極=cathode で、ピンとこない。しかも、充電と放電でいちいち言い換えなければならない。

 

それでは不便なので、使用時、つまり放電時に陽イオンが入ってくる極を cathode とし(これは定義通り)、なぜか日本語では物理屋とは逆にこちらを陽極と言うことにしてしまった。プラス極なのに「陰」というのはおかしいと思ったのかもしれない。
従って、物理では CRT の例のように cathode は陰極と言っているのに、化学屋(電池屋)は陽極と言うようになった。

 

外国から日本に特許出願したもので、明らかな間違いだなと思うのは、プラス極の話なのに陰極と訳されているケース。日本の弁理士が物理に堪能だと cathode を反射的に陰極としてしまうらしい。

 

このように紛らわしいので、電池においては、陽極(cathode)とか陰極(anode)といういい方は止めて、使用時(放電時)のプラス極を正極(positive electrode)、マイナス極を負極(negative electrode)と呼ぶようにしている。充電時でも、逆転させないでその呼称をそのまま使用する。

 

ついでに注意を促しておきたいのは、英語で書く場合、つい cathode electrode とか anode electrode とやってしまうこと。Cathode も anode もすでに electrode の意味を持っているから、これでは「電球の球」になってしまう。その点から言っても positive electrode、negative electrode という表記の方が間違いようがない。

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