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西研コラム

〈第9回〉(初歩的なこと)


2017年8月30日

BakerStreet221B(ベーカー街221B番地)というのはロンドンにある実在の地名で、推理小説、特にコナン・ドイルが産んだシャーロック・ホームズのファンならば一度は訪れてみたい場所だろう。そこは、ホームズが友人の医師ワトソン博士と住んだ下宿屋があったところだ。もっとも、ホームズたちが住んでいた頃には85番地までしかなく、1930年にアッパー・ベーカー街とベーカー街が合併した結果、221Bという番地が生まれたのだそうだ。現在ではロンドンでも有数の観光スポットになっている。
シャーロック・ホームズの熱狂的なファンまたは研究者をシャーロッキアンと呼ぶが、これはアメリカ人が好む呼び方だそうで、イギリスではホームジアンと名乗りたがるそうだ(ベアリング・グールド『シャーロック・ホームズ全集』ちくま文庫)。
上に端無くも「ホームズが住んでいた頃・・・」と書いてしまったが、このようにホームズをフィクション中の人物ではなく実在した人物として、ホームズ活躍した時代や社会を研究する人たちがいる。1888年に実際にロンドンで起こり、結局は迷宮入りとなった“切り裂きジャック~Jack the Ripper”事件という連続殺人事件があるが、同時代に生きていたホームズがなぜこの事件を解決できなかったのかと研究者は真剣に考察する。中には、ホームズ自身がこの事件の犯人だったから捜査しなかったのだという結論を導き出したホームズ研究家もいる。シャーロッキアンの端くれである筆者も何度かBaker街221B番地を訪れたことがある。そのとき撮った写真を下に掲げる。

 

 

しかし、こんな写真に騙される人はまずいないでしょうね。電柱があり、電線が走っているところなど、どう見ても日本としか考えられない。
筆者は毎朝ウォーキングをやっていて10kmほど歩くが、出張先でも事情が許す限りそれを続けている。この写真の実体は出張の折に名古屋駅周辺をウォーキングしていて見つけたマンションで、オーナーが熱烈なシャーロッキアンなのだろうか、こんな遊びをやっている。

ホームズは、初めて訪ねて来た人の職業を当てたり、住んでいる場所を指摘したりして、いつも相棒のワトソンを驚かすという場面がよくある。彼がいとも簡単になんでも見通すので、ワトソンが「どうして分かったのかね?」と問いかけると、ホームズは決まって、“Elementary, my dear Watson” (「初歩的なことだよ、ワトソン君」あるいは「簡単なことだよ、ワトソン君」)と答える。ホームズにひっかけたジョークとして、立川談志『家元を笑わせろ』(DHC)に次のような話がある。
「やあワトソン君。君はまだ冬の下着をはいているね」
「すばらしい、ホームズ、実にすばらしい。どうしてそう推論したの?」
「君がズボンをはき忘れていたもんだからね」
これを読んで、談志自身はホームズのことをあまり知らないなと私は推理する。談志が私に「どうして分かった?」と訊いてきたら、“Elementary, my dear Danshi” と答えてやろう。彼がホームズ譚に詳しければ、ワトソンに対する答えは、「簡単なことだよ、ワトソン君。君がズボンをはき忘れていたもんだからね」と書いたはずだ。

 

こんなことを書いたのも、世の中には「初歩的こと」なのに理解していない人があまりに多く、ホームズの真似をして“Elementary!”と言って一蹴したいことがたくさんあるからだ。たとえば、この間のサッカー・アジア・カップ。日本チームが優勝したことで大騒ぎし、号外まで出たと言うから呆れてしまう。あの大会で最強のチームはオーストラリアで、世界ランキングから言えば26位だった。つまり、あそこで優勝したからと言って、世界で 26位になったに過ぎないのだ。そういう“初歩的”なことも理解せずにまるで世界の強豪チームの仲間入りを果したかのような騒ぎ。笑止千万だ。
ついでに書いておけば、26位に勝ったら25位になったのではないかと思うのは間違い。マラソンで2位の選手を抜いてそのままゴールインしたら1位かというと、そうではないでしょう。2 位ですね。トップの選手を抜かないと1位になれない。これも「初歩的」なこと。
もっと重要な話をすれば、政治の世界での与野党の争いがおかしい。今、参議院で単独過半数の政党はない。だから、もし衆議院を解散して選挙となり、仮に自民党が勝利したとしても、参議院では現在と立場が逆転した「ネジレ」になる。これは自明の事実で、「簡単に」理解できることだ。解散・総選挙となって、どちらに転んでも、状況は変わらず何も解決しないのだ。従って、与野党が話し合って予算問題などで合意点を見出すしか道はないのに、両者まったく歩み寄ろうとしない。犠牲になるのはわれわれ国民の生活だ。

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