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西研コラム

〈第15回〉マスコミの生活習慣病


2017年8月30日

今年ほど年賀状に書く新年の挨拶が難しいと感じた年はない。私自身、福島(郡山市)や宮城県(多賀城市)で何年か仕事をしてきたので、「謹賀新年」とか「おめでとうございます」とここで書くのは気がひける。そこで、ここでは、「今年一年が平穏な年でありますように」と書くに留めよう。

 

 

さて、今年最初の本欄のテーマは東京スカイツリーです。今年の 5 月には完成するそうで、マスコミにも色んな形で、これでもか、これでもかとばかりに登場している。それを読んだり、聴いたりしていると、巷では大変な人気らしいぞと思わざるを得ない。私は、総武線で錦糸町駅付近を通りかかったときに、ビルの間からチラッと望見したことが一度あるだけで、スカイツリーにそれほど関心があるわけではない。

 

 

“Business Media 誠”というウェブサイトに面白いアンケート結果が紹介されていた。東京 23 区内の賃貸住宅に住む 20~30 代の人に、東京タワーとスカイツリーのどちらが好きかを尋ねたところ、東京タワーに対しては 48% の人が「好き」と答えたのに対し、スカイツリーの方は僅か 17% しか支持されなかったというのだ。

また、スカイツリーの夜景を見ることができるというマンションなどの部屋に対して、部屋代として幾らまでプラス α を許すかという質問に対しては、月額平均 7,176 円までは高くても許容するという回答だった。一方、東京タワーの夜景なら、9233 円高まで OK となったそうだ。

 

 

ちょっと待ってよ。じゃあ、これまでのマスコミの取り上げ方は変だってこと? これまでもこの欄で、マスメディアの、事件や話題の取り上げ方がおかしいと指摘してきたけれど、スカイーツリーもその範疇だった? スカイツリー人気はマスメディアが作り上げたものだった?! マスコミのこのような風潮に対して、金井美恵子は『目白雑録 3』(朝日文庫)の中で次のように指摘している。

 

 

 医師の日野原重明氏は書く(朝日新聞 2006.7.8)。(中略)〈(サッカー・ワールドカップで)大会前の日本のメディアの予想は、甘すぎる期待で埋め尽くされており、それが読者や視聴者を興奮させたように思います。正確な予測のもとに、もっと辛口の報道がされてしかるべき〉だと(後略)〉。大人になれば誰でも罹る病気と思われてしまう成人病という名称を生活態度に無知と無防備に原因を帰した生活習慣病と改名したことでも名高い医師にちなんで、日本代表報道は報道ではなく、ジャーナリズムの生活習慣病なのだと私は言いたいのである。 

 

 

これは、2006 年のワールドカップ、ドイツ大会に際して書かれたもので、同大会では、マスコミがあのように騒ぎ立てたにもかかわらず、日本チームはベスト 16 まで進んだに留まり、決勝トーナメントには出られなかった。

しかし、「ジャーナリズムの生活習慣病」とは巧いことを言いますねえ。これまでのスカイツリーの扱い方も、マスコミが生活習慣病に罹患した一例ということなのか!

マスメディアの中でも、テレビの影響力はとりわけ大きい。クリストフ・ニックとミシェル・エルチャニノフ共著の『死のテレビ実験』(河出書房新社)という本で、テレビの恐ろしさについてある実験を行った結果を報告している。少し長くなるけれど、かいつまんで内容を引用してみよう(一部、形容句や冗長な説明などを省略していることをお断りしておく)。

 

 

 アメリカの心理学者、スタンレー・ミルグラムがイェール大学で実施したもので、「良心に反する命令を〈権威〉から下された場合、個人がどれほど服従しやすいか」を明らかにした画期的な実験である。ミルグラムは「科学者」を〈権威〉の立場に置き、「科学実験のため」必要だとして、「見知らぬ相手に電気ショックを与える」ことを被験者に要求した。 

 ミルグラムは新聞に広告を載せて被験者を募集した。広告は「イェール大学で行う「記憶と学習に関する科学実験」の協力者を募集する」というもので、ミルグラムは500 人を募集した。 

こうして応募してきた被験者は、一人ずつ実験室に通されることになる。実験室にはすでに男性がもう一人いて、いかにも応募者のようなふりをしている。だが、この男性はサクラで、実験では「学習者(生徒役)を演じることになっていた。数分後には「科学者」も現われる。「科学者」は、「ある理論によると、学習能力を高めて正しく記憶するには罰を与えることが効果的だというのだが、罰が及ぼす効果についてはまだ正確なところがわかっていない。そこで、この実験をおこなうことになった」という説明をする。 

実験は、くじ引きによって、応募者のうちどちらかが「先生役」になり、どちらかが「学習者」になって、「学習者」が一連の言葉を暗記し、「先生役」がその暗記が正確かどうかをチェックするという形式で行われる。ただし、くじはあらかじめ細工がしてあり、どちらにも「先生役」と書いてある。つまり、被験者は必ず「先生役」になり、サクラである男性が「学習者になる。暗記する言葉は、「青い空」「野生のカモ」といった形容句と名詞の組み合わせで、そういった言葉を覚える時間を与えられたあと、たとえば、「先生役」が「空」と言ったら、学習者は「青い」「紺碧の」(などの)つに選択肢の中から正解を答える(この場合は「青い」が正解)。もし「学習者」の答えがまちがっていた場合は、「先生役」は「学習者」に対して、罰として電気ショックを与えなければならない。 

役割が決まると「先生役」の被験者と「学習者」の男性は、隣接した別室に連れていかれる。そこで「学習者」は椅子に座りベルトで固定される。手首には電極がつながれる。 

電撃発生器は 30 個のスイッチが横に並び、各スイッチの上には 15 ボルトから 450 ボルトの数字が記されている。 

実験が始まって、「先生役」の被験者は「学習者」が答えをまちがえるたびに、電気ショックを与えていく。電気ショックの強度は、答えをまちがえるごとに一段階ずつあげていくことになっていた。「学習者」は、あらかじめ決められていたとおり、ほぼ、つに 3 つの割合で答えをまちがえる。そのため、「被験者」が「罰として」与える電気ショックは、どんどん強くなっていった。 

 実験では、電気ショックによって「学習者」が苦しむ声も流された。これは、あらかじめ録音されたもので、あるボルト数に対して何を言うかは決まっていた。 

この「学習者」の苦痛の声に対して、はたして「先生役」の被験者はどのように反応したのだろうか? 苦痛の声はもちろん演技であるが、被験者は(別室にいるので)それを知らない。被験者の多くは途中で実験をやめようと試みた。 

こういった被験者の反応に対して、「科学者」は常に同じ態度で応じることになっていた。以下の 4 つの言葉を口にして、被験者が実験を続けるようにうながすのである。 

 1「どうぞ続けてください」 

 2「続けてもらわないと、実験が成り立ちません」 

 3「続けていただくことがどうしても必要なのです」(責任はすべて私たちが引き 

受けます、という言葉が続くこともある) 

 4「あなたには選択の余地はありません。続けなくてはいけないのです」 

もし、四番目の言葉を聞いたあとも、被験者が電気ショックを与えることを拒否した場合は、実験はそこで終了となる。

 多くの被験者がためらいながらも再び質問をはじめ、その結果は、全体の 62.5% の人々が最後の 450 ボルトまで電気ショックのスイッチを押しつづけたという衝撃的なものだった(西註:450 ボルトの電圧を実際に与えたら、死に至ることは間違いない。6 割以上の被験者は、それを感じていても「科学者」という権威に逆らえないで、スイッチを押し続けたのだ)。

 

 

この実験事実を紹介した後、この本はもっと恐ろしい事実を我々に突きつける。ミルグラムの実験とほぼ同様の設定の下に、TV のクイズ番組を作るという名目で被験者を集め、番組司会者役の指示のもと、「回答者」(上記の実験の「学習者」に相当し、今回もサクラが務めた)に被験者(一般人)が問題を出し、回答者が誤答するたびに被験者が電気ショックを与えるというやり方で、実験を行った。

以下、引用を続けよう。

 

 

  権威を「科学」から「テレビ」に置き換えることで、まずテレビの持つ権力の大きさを測ることができる。テレビがやれと言ったら、人はその命令に従って殺人を犯すのだろうか? この疑問に答えるために、私たちは架空のクイズ番組を設定して、見知らぬ相手に電気ショックの罰を与えるという実験を行うことにしたのである「テレビ番組の司会者」と「科学者」では権威の信用度がちがうとも考えられた。だが、一方では、現代では多くの人がテレビに抗いがたい魅力を感じている。司会者がこうしてほしいと言ったら、断りにくいのではないかとも考えられた。もしそうなら、被験者の服従率はミルグラムの実験と同じくらいの可能性もある。 

 そして、実際にその結果が出てみると――それは私たちにとっても驚くべきものであった。ミルグラムの実験で示された服従率が 62.5% であったのに対し、私たちの実験で示された服従率は 81%。なんと「テレビ」は「科学」の権威を越えてしまったのである。 

 

 

この実験は、テレビが「見えざる大きな力」を持っていることを示している。だから、報道などでもテレビは慎重に対象を扱ってもらいたいのに、金井の言う、「ジャーナリズムの生活習慣病」に罹ったテレビは視聴者を煽り立てるようなセンセーショナルな扱い方をする。スカイツリーの話しなら罪は大きくないが、これまででも、「環境ホルモン」「BSE 問題」「イタイイタイ病」など必要以上に「危険だ。危険だ」と騒ぎたてた罪は大きいと思う。これは昨年にこの欄で「ニュースに騙されない」というタイトルで書いた通りだ。昨今では、放射能の問題が同様の扱いを受けているように思う。

 

 

昨年の 12 月 30 日の朝日新聞朝刊は、「ジャーナリズムの生活習慣病」から脱したいのか、珍しく、原子力のリスクはそれほど大きくないのではないかと言うような記事を載せた。そこでは、一般女性を対象に、いろいろな項目についての危険度を判断してもらい、それを専門家の判断と比較している。

専門家のリスク順位は、タバコ(1 位)、酒(2)、自動車(3)、ピストル(4)と続き、原子力(20 位)、食品保存料(27)、抗生物質(29)となっている。

一方、一般人は、原子力(1 位)、食品保存料(3)、抗生物質(4)という順位付けだった(ちなみに、2 位はピストル!)。専門家がリスクが大きいと指摘しているタバコは 8 位、酒は 21 位、自動車 7 位だった。

この順位は明らかに、それほどリスクの高くないものでも、TV などのマスコミが危険だ、有害だと騒ぎ立てているものが一般人では高位に来ており、「ニュースに騙されない」の中で紹介した、ダン・ガードナー著『リスクにあなたは騙される』(早川書房)が指摘した通りの結果となっている。マスコミの権威がいかに大きいかということを如実に示している。

 

 

こう書いたからと言って何も、原子力とか食品保存料が無害だというのではなく、リスクの度合いと、それらに対する相応の対策を客観的に報道してもらいたいと言うだけの話なのだが・・・・。「放射能が恐ろしい」と家族を関西以西に避難させながら、それよりリスクがはるかに大きいタバコ(自分だけではなく、周囲にも大きなリスクをばらまいている)を平気で吸い続けている人はいくらでもいる。不思議千万としか言いようがない。

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