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西研コラム

〈第29回〉理解脳と解決脳


2017年8月30日

この間、徳岡孝夫のエッセイ(中野 翠との共著『思わず笑える話 泣ける話』文春新書)を読んでいたら、平素、私がイライラさせられる女性特有の行動パターンが書いてあった。ちょっと長いが紹介してみよう。
 
 
ニューヨーク郊外のシラキューズにある大学に徳岡が通っていたときの経験として紹介されていたのは次のような話。大学の寮の近くにピザ・ハウスがあって、手軽に食事が出来るので徳岡はよくその店を使っていた。電話一本で出前をしてくれるので、寮生の中には出前を頼む者も多かったそうだ。だから、徳岡が店でピザを食べている時も、寮からよく出前を頼む電話がかかってきて、店長がピザを焼きながら、その電話に出ていた。
そのうちに徳岡は奇妙なことに気付いた。電話の応対に二通りのパターンがあったのだ。電話に出て、先方の話を聞いて「ハイ」と応えてすぐに電話を切ってしまう場合と、電話に出たと思ったら、黙って受話器を脇に置いてしばらく仕事に没頭しながら、時々受話器に耳をあててはまた置くということを繰り返したあと、やっと話を始めるというケースがあったのだ。
不思議に思った徳岡はある日、思い切って「二通りの応対の仕方があるのはどうしてなのか?」という疑問を店長に投げかけてみた。
答えは次のようなものだった。電話をかけてきた寮生が男の場合の注文は非常に端的で、「***ピザを一枚頼む」とピザの種類を言うだけだから、「ハイ、分かりました」と言ってすぐに電話を切ってしまっても構わない。ところが相手が女性だとそうはいかない。電話口から例えば次のような会話が聞こえてくる。「ピザ屋さんが出たわよ。A ちゃんは何にする?」「私はモッツァレラチーズを半分でいいんだけど」「じゃあ、残った半分は私が食べてあげる。で、B ちゃんは」「そうねえ、私は・・・」というような会話が電話の向こうで延々と続くのが通例だという。だから、女性から電話がかかってきたら、受話器をいったん脇に置いて仕事の方を続け、話がまとまったかどうかを確認するために時々受話器を耳にあてるのだという。
 
 

男性客なら電話をする前に友人たちから欲しいものを訊き、それらをまとめて注文するだろう。徳岡のエッセイを読んで、「そうだよなあ」と私も思った次第。次のような経験をされた方は多いのではないでしょうか。たとえば、バスに乗る場合。今は Suica のような電子マネーがあるから以前ほどではないけれど、次のような女性客はまだまだ健在だ。それは、バスのステップに足をかけてから、やっと代金を払わないといけないのだと気付いたかのように、ハンドバッグの口を開け、バッグに手を突っ込んでごそごそ探し回った末にようやく財布を見つけ、今度は財布の中から硬貨をあれこれ選び出して代金を揃えるということをやる乗客だ。その間、かなりの時間がかかり、こちらが急いでいるときはイライラする。なぜ、バスを待っている間に料金を用意し、揃えておかないのか?
 
 

同じことが電車の切符を買う場合にもある。われわれ男は、あらかじめ行く先までの料金を備え付けの路線図で調べてお金を用意して自動販売機の前に立つか、行列が出来ている場合は列に加わって並んでいる間に同様にしてお金を準備し、自分の番を待つ。ところが、女性はそうではないケースが多い。券売機の前に立って自分の番が来てから、おもむろに料金を見て、財布をバッグから出し、お金を揃える。だから、時間が余計にかかる。
この間もこんなことがあった。名古屋に行く用事があって、新幹線に乗るべく新横浜駅に行った。余裕を見て家を出たので、予定した列車の発車時刻まで 35 分ほどあった。切符を買う時間は十分あると思ったのが大間違いだった。ふだんは自販機で買うのだが、その時は「大人の休日倶楽部」の割引を使おうと思い、切符売り場に行ったのだ。すでに 10 人ほどの人が並んで順番を待っていたが、窓口は 5 カ所開いていたので、1 人 5 分かかるとしても、2 回転で自分の番になるから、10 分ほど並べばいいと踏んだ。
それらの窓口を見ると切符を買おうとしている 5 人のうち、4 人が女性だった。何となく悪い予感がしたが、それが的中してしまった。5 分経ち、10 分経っても彼女たちの切符購入は一人として終わらない。男性が立っていた唯一の窓口では数分で次の客に交代している。女性客が立つ窓口の一つでは十数分してやっと窓口が空いた。その後に男性客が入ると、こっちは数分で終わる。
並んでいた間に観察をしていると、25 分かかってやっと切符を買った女性客が一人と、私の順番がようやく巡ってきて切符を買い終えたときもまだ窓口にとどまってなんやかやと駅員とやっていたのが一人いたから、彼女は 30 分以上かかってもまだ切符を入手していないことになる。
私の後ろで同じようにいらいらしながら順番を待っていた男性が、「旅行相談所と間違えてやがる」と吐き出すように言ったが、まさにその通り。我々は、時刻表を調べて、どの列車に乗って、何時に目的地に着くということを予め決めてから窓口に行くのが通例だが、女性は窓口に行ってから、駅員に相談し始めるのだ。名古屋までとか新大阪までというような簡単な行き先ならいいが、新幹線から在来線に乗り換えるなどという場合は駅員も時刻表を取り出して調べなければならないから時間がかかる。駅員がたとえば、「名古屋で関西線のこれこれの急行に乗り換えて」と言うように提案すると、「他の電車だとどうなりますか?」などと訊いてくるから、また調べないといけない。かくして、延々と時間がかかることになる。
このような進み方だったので、私が切符を手に入れるまで 30 分近くかかってしまい、余裕があるはずだったのに駆け込み乗車になった。

 

 

どうやら女性は次の一手をあらかじめ考えておいて行動に備えるということが苦手のようだ。車の運転でもそうでしょう? 男は次の交差点を左折というような場合はかなり手前で左車線に車を寄せておく。ところが女性が運転していると、交差点直前で「あっ、左折するんだった」と急ハンドルを切ったりするケースがしばしばあるから危険極まりない。

 

 

このような話をすると、「ちゃんと前から準備する女性だっているわよ」とか「男性にだってそういう人、いるじゃない」という抗議が必ず来る。何も「女性全員がそうだ」と言っているわけではない。確率ないしはパーセンテージとして、女性にはそういう行動パターンの人が多いと言っているのだ。
女性は、特定の個人が非難された場合、全女性が非難されたかのように反応するとプーシキンが『随想』の中で書いている。

 

 

 男性全体を罵倒して、男性のありとあらゆる欠点をあばきたてたとしても、それに抗議を申し込む男はどこにもいない。しかし、女性について少しでも皮肉めいたことを言おうものなら、すべての女が一斉に立ち上がって抗議する。女というものは一国民、一宗派を形成しているのだ

アラン・ピース、バーバラ・ピース『地図を読めない女、話を聞けない男』(主婦の友社)にはこのような女性と男性の行動における差が生じる原因を分析して、次のように言っている(ちなみに著者は夫婦だそうだから、男性ないしは女性の一方的な見方ではなさそうだ)。
ホモ・サピエンスが登場した頃のヒトの生活は、男は集団で狩りに出かけ、その留守を女性たちは住まい(洞窟)で子供の面倒を見ながら過ごした。男たちは狩りの成果を上げるためには時間や空間認知能力が重要だった。それゆえ、行動パターンとして常に次の一手を考えなければならなかった。
それに対して、女性は洞窟で男たちの帰還を待つ間、子供の面倒を見ながら、仲間とのおしゃべりに興じていた(だから、女性は井戸端会議のようなおしゃべりが好き?)。それゆえ、空間認知能力を必要とせず、次はどうするかという時間的経過を考慮する必要もなかった。それが、今でも男女の脳の働きに影響を与えていて、たとえば、左脳と右脳をつなぐ回路構成が男と女では現代でもまったく異なっているという。
男では左脳と右脳をつなぐ回路は 1 本だけしかないため、情報の処理能力が悪い。たとえば、新聞を読んでいるとき奥さんに話しかけられてもほとんど反応できない。「読む」という行為に入り込んでいると、ほかの情報に意識が向けられないのだ。結果的に「あなたは私のいうことなど聞こうともしてくれない」と奥さんに非難される。
これに対し、女性の左脳と右脳をつなぐ回路は複数本あるので、いちどきに処理できる情報は多い。これは、上の例で言えば、洞窟で留守番をしているとき、同僚と話をしながらも子供たちが危険なことをしていないかウォッチし、野獣などの外敵が周りにいないかどうかなどに気配りするなど、同時に処理しなければならない情報が多かった。だから、現代の女性も、電話をかけながらテレビを見たり、子供の様子をうかがったりと複数のことが同時に出来る。

 

 

脳生理学者に言わせると、もう一つ、男と女では大きな違いが脳にはあるという。女性同士がおしゃべりをしているのを聞いていると、次のように会話が進行しているのに気付くだろう。
「うちの亭主ったら、この間、私のことを***だって言うのよ」
「まあ、うちもそうよ」
「失礼よねえ」
「ほんと、ほんと」
このような調子で話は延々と続いていく。脳生理学者は、女性の脳は「声に出して共感しあう共感脳」だと分析する。
それに対して男性の会話の進行はまったく違う。
「その問題は、***ということだと思う」
「いや、俺はそうは思わない。それは×××なんだと思う」
というように議論が続く。つまり、相手の言うことを安易には受け入れない。これを脳科学者は「目的を解決するための解決脳」だと言う。
拙宅でも、妻の発言に対し、「いや、自分はそうは思わない」などと言おうものなら、「いつも私の言うことに反対する」と食ってかかられるから、「そうだね」と相槌を打っておいた方が無難なのだ。
このような男女における脳の働きの違いを女性、男性ともよくよく理解した上で行動しないと、とくに夫婦間では争いが絶えなくなる。

 

 

『男と女の論争』と題した次のような文章を見つけた。

 

 

「そうか、そらよろし、君はオトナやよってな。—-男は口論して女に勝ったらアカンデ」
「ははあ」
「やりこめられたら、女は一生、怨む」
「そんなことがおまっか」
「男が負けたら、女は納得する。自分のいうことは正しい、と信じきってるのが女やから、女を言い負かそう、思うたりしてはあかんデ」

 

 

これを書いたのは男性ではない。田辺聖子が『どこ吹く風』(実業之日本社)に書いたものなのだ。つまり、女性の性格とはそういうものだと女性自身も気付いているということだ。
だから、家庭での夫のポジションは次の話の通りだということを肝に銘じるべきだ(阿刀田高『ブラック・ジョーク大全』講談社文庫)。

 

 

刑事「ご主人の自殺の理由がおわかりですか」
未亡人「いいえ。見当もつきませんわ」
刑事「最期の日記には“会社でも家庭でも虐げられ、うだつのあがらない人生だった”って書いてありますが・・・・」
未亡人「とんでもない。そりゃ、あの人、会社じゃ万年平社員だったかもしれませんけど、家ではナンバー・ツーの位置を与えられておりましたのよ」

 

従って、家庭をうまく治めるために私は次のような家庭内ルールを定めて、夫婦間の対立を避けている。すなわち、「小さな細々した問題は妻に任せる。反対に、大きな問題には私が対処する」。
具体的に言えば、たとえば息子の結婚問題とか、娘の進路、家のリフォームのような小さな問題に対しては妻に決定権を与え、私はそれに従ってきた。反対に、重要で大きな問題は私が考える。すなわち、憲法改定の是非とか、竹島や尖閣諸島の領有権問題への対処法、TPP 交渉はどうあるべきかなどということは私の裁量に任されている。

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